札幌キリスト聖餐教会のブログ

 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ーイエス・キリスト

礼拝メッセージ要旨 「弱さを出発点として」 創世記 第11章27節-12章4節

ドレ 「アブラハムのカナンへの旅」

 

これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。

ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。

アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。

サライは不妊の女で、子どもがなかった。

テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。

テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。

 

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。

 

「信仰の父」「神の友」と呼ばれ尊敬されている、ヘブル民族の始祖アブラハムの信仰の歩みから学んでいこう。アブラハムは紀元前2000年頃、現在のイラク南部、カルデヤ人の住むウルの町から旅立って、カナンの地を目指して旅立った。それは、「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」との、主なる神の召し出しの御言葉をはっきりと聞いたためであった。

 第一に、彼の信仰の歩みは、「自分に隠されている領域は主に委ね、ただ神が自分に明らかにされた約束に全面的に信頼し従う」ものであった。ヘブル11章に、「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」とある。現代においても、一家が住みなれた土地を離れて、新しい地に引越をするということは小さなことではないが、この時代においてはなおさらのことであった。それは故郷で今迄築き上げてきた家、土地、畑、友人、生活上、仕事上の頼りになる人脈、人間関係などの一切を後にし、一生の別れを告げることを意味したのである。しかし、アブラハムは、「神が私に現われ、神が私に約束してくださった。神にはその約束を果たす力がある。私はこの方を信じ、すべてを委ねてついて行く」との信仰に立ち、主に従ったのである。彼に知ることが許されていたのは、ただその日その日の一歩先、一歩先のこと、そして、彼のたびの終着点がどこであるのか、その最終目的が何であるのかだけであった。しかし、彼は自分に隠されていることは全て主に委ね、ただ一日一日、一歩一歩を主に頼りつつ、誠実に歩み、ついにはその約束の実現を見るに至ったのである。

第二に「アブラハムの信仰は始めから完全なものではなかった。彼の信仰は徐々に成長した」ということに注目したい。彼らは、「カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住みついた(31節)」とある。すなわち、彼らは神の導かれる地であるカナンを目指して出発したものの、途中、ハランの地で歩みを止めてしまった。これはおそらく、アブラハムの父であるテラがこのハランの地を非常に気に入ったか、あるいは目的地もはっきりと分からないような放浪の一族としての生活に疲れ、嫌気がさした、という事情があったことと思われる。いずれにせよ、この時点でのアブラハムの信仰は、いわばハランまでの信仰に過ぎなかった。アブラハムといえども、決して始めから完成された信仰を持っていたわけではなく、始めがあり、途中があり、そして完成へと、徐々に成長していったのである。この後もアブラハムは飢饉の時にエジプトを頼って神の約束の地を離れたり、妻を妹と偽って自分の身の安全を守ろうとしたり、忍耐を失ってそばめのハガルを通して子をもうけたりと、弱さと人間の情から、数多くの失敗を犯している。しかし、そんなアブラハムを主は見捨てることなく。彼を見守り、忍耐強く彼を導かれた。アブラハムが、人間の弱さゆえに、おそれ、戸惑い、立ち止まり、何度も道を踏み外す、そのただ中で彼を教育し、整え、精錬し、練り鍛え、偉大な信仰の父へと一歩一歩つくり変えて行かれたのである。

最後に、「アブラハムが信仰の父となったのは、彼が致命的な弱さと欠けを持っていたからこそであった」ということに注目したい。「サライはうまずめで、子がなかった。」と30節に簡潔に書かれているが、このことこそ、アブラハムの最大の欠けであり、悩みであり、泣き所であった。また、このことは、「多くの国民の父となり、祝福の基となる」との約束とも矛盾するように思われた。

しかし、もし、この弱さ、この恥とするところがなかったら、アブラハムは信仰の父となることはできなかったであろう。妻のサライが当たり前に子供を産む女性であって、沢山に子供を持っていたとしたら、「アブラハムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」という偉大な出来事は決して起こらなかったことであろう。アブラハムが信仰の父として慕われるようになったのは、この彼の最大の恥、弱み、絶望、実にそこにこそ、その根拠があり、土台があり、出発点があったのである。信仰とは、自分自身ではどうすることもできない弱さを持っていることを認めること、また、この地上のものでは決して満たすことの出来ない欠けを持っていることを告白し、そしてどこまでも神に頼り続けるということに他ならない。アブラハムはそのような自分の弱さの場において主を信じ続け、その恥とする場をそのまま神の前に差し出し続けた。そこでこそ彼は神を信じ、そこでこそ彼は本当に、全能の、生きた神と出会ったのである。神は何も無いところから有るものを起こしたもう方、無に等しいものをもって、御自身の栄光をあらわされるお方なのである。

アブラハムは自分の力や知恵を頼みとする英雄でも豪傑でも賢者でもなかった。ただ主に頼み、主を誇りとし、主を力とする者であった。彼は信仰の父として、主と共にこの道を最後まで歩み通したのである。私たちも今日、この場で自分の弱さの場に主を迎え入れよう。そしてキリストによって生き、キリストによって歩む者として、今日もこの道を、共に歩んで行こう。

 

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