札幌キリスト聖餐教会のブログ

 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ーイエス・キリスト

小論「ブルームハルトの生涯 ー現代における聖書的牧師像ー」

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト(1805‐1880)

 

 

緒論

 

 現代ほど、伝道牧会において、聖書に記されている聖霊の力と賜物の表れが必要とされている時代は無いであろう。というのも、現代においては、無神論、唯物論、宗教的多元主義、オカルティズムなどが一般的に蔓延しており、全宇宙の創造者なる唯一の神の存在を、人生観、世界観、価値観の前提とする思考様式が自明のものとされる時代はもはや過ぎ去ったからである。このような状況において、伝道者に求められることは、単に、聖書に基づいた世界観や価値観、道徳や倫理を教えること、だけではない。福音の真理性、事実性を証しし、またそのような生き方を可能とさせる現実の力を現す器となることこそが、求められているのである。本来、主イエスが使徒たちに託された使命の核心は、証人となることであり、教師となることではなかった。価値観や思想を教えて教化することも必要であるが、救い主の贖いの死と復活によって悪魔の支配が打ち破られ、神の国が到来した事実を身をもって証しすること、そして人々を罪と悪魔の支配から開放して神の支配の現実の中へと導き入れること、このことこそ、使徒達に与えられた使命の核心であった。従って、主イエスが命じられた通りに聖霊のバプテスマを受け、その聖霊の現実性を体験すること、そして聖書に記されている聖霊の賜物を用いてこの物理的世界に働きかけていくことは、あっても無くても構わないオプショナルなものではない。それは本来は、キリストの証人として召されている全キリスト者が体験すべき、必須の要素であり、前提条件であった。

 

 そうであるならば、神がキリスト者、特に伝道牧会に召された者に、求められ、そして与えられる諸要素を明らかにすることが必要である。それらの一つ一つを聖書から抜き出し、列挙し、網羅することも有益であろう。しかし、それと並んで有益なのは、神が実際に召し出され、立てられた器を取り上げ、聖書的に考察を加えることである。なぜなら、神がある人に与えられる資質、霊的体験、聖霊の賜物などは、その人の人生経験という文脈の中で、人生における具体的な経験を通して与えられるものであり、それらと無関係に突然発現するようなことはむしろ稀だからである。よって、本論文では、19世紀ドイツにおいて、聖霊の器として選ばれ、神の国の証し人として生きた、ヨハン・クリストフ・ブルームハルトについて取り上げ、神が彼をどのように教え、導き、整え、聖霊の器となし、神の国の現実性を証しする器となしたかを考察することとする。それにより、21世紀に生きるクリスチャンが失っているもの、神に乞い求めるべきものが何であるかが、明瞭にされることを願うものである。

 

 

本論

 

 以下、5項目にわたって、ブルームハルトの生涯に見られる、教職者として重要と思われる要素を取り上げ、分析を加えていく。

 

1.聖書的・神学的素養

 

 ヨハン・クリストフ・ブルームハルトは1805年に生まれ、1880年に死去した、ドイツ敬虔主義の流れを汲む牧師である。その生涯には、使徒行伝に記され、また聖霊派が重視する、目覚ましい霊的な出来事が数多く起こっている。それは主に、悪霊の追い出し、リバイバル、神癒である。さらに彼の生涯を特徴付けるのは、バルトやトゥルナイゼンといった著名な神学者たちが、それらの出来事を疑わしいもの、迷信的なものとして退けることなく、その事実性を認めて神学的研究の対象としていることである。このことはおそらく、後の時代の聖霊派が、正統なものとしてキリスト教界に認められ、受け入れられるに当たって大きく貢献したことであろう。これは、ブルームハルト自身が、狂信的な熱狂主義者からはほど遠い人物であり、むしろ非常に抑制的、客観的な人であったこと、また、高度な神学的教育を修めた人であったことが影響したと言えるだろう。彼の生まれ育ったドイツ、ビュルテンベルクのシュトゥットガルトは、北方のハレ大学を中心とする敬虔主義の影響の下にあった。彼の父は木材を計量する手工業者であったが、敬虔主義的信仰者のサークルに属し、ブルームハルトは幼時から、敬虔主義の精神の中で教育され、成長した。ブルームハルト自身が幼少期を回顧してこのように書いている。「父は、規則正しい祈祷と聖書朗読のために、私たち兄弟を集めた。そして、賛美歌をいっしょに歌わせ、実に様々な仕方で私たちを励ました。私にとって忘れることができないのは、父がある晩、将来いつかイエスの御名を告白することが引き起こすかもしれない迫害について、私たちに話してくれたことである。その話の最後に、彼が激しく感動した様子で、「お前たちは、イエスを否認するよりは、むしろ首をはねられなさい」と大声で言ったとき、私の手足を電流のようなものが走った。そのような教育は、優しく愛してくれる母と思いやりのある叔父の変わることのない配慮に伴われていたが、早い頃から私の中に、良いものを目覚めさせてくれた。私は、神の特別な恵みの相について、幼年時代から、活き活きとした色々の思い出を心に持っていることを、自分の特別な幸せと考えている。(1)」また、後年のブルームハルトの説教について、「聖書は、彼にとって、隅々まで子供の頃から歩き慣れた大きな庭のようなものであった(2)」と言われている。知的に非常に優秀だった彼は、貧しい職人の子供でありながら、奨学金を受けて、シェーンタールの神学校で4年間、テュービンゲン上級神学校で5年間の神学教育を受けることができた。これらの経験の一つ一つが相互に働き、彼を狂信的な熱狂からも、また、当時の敬虔主義の短所として指摘されている、信仰の過度な純粋化、内面化からも、また、純粋な神学者とすることからも遠ざけ、市井の人々の中で福音を宣べ伝え、悪魔と戦い、神の国を証しする、聖霊の器となしたのである。

 

 このように、どんなに著しい聖霊の奇跡的な御業を現すべく選ばれた神の器であっても、家庭的、社会的、道徳的、また知的、神学的な学びと訓練を免れてよい者はいない。むしろ、より強く著しい聖霊の御業が現れれば現れるほど、その土台としてこれらの分野における訓練が積まれていることが要求される。さもないと、容易く、熱狂主義、狂信、聖書の教えを踏み越えること、人間崇拝やカルト化などの邪道に陥り、主の御名を汚す結果に成り易いことは教会の歴史においてしばしば見られる通りである。ブルームハルトの生涯における出来事とそのメッセージが、福音派や社会派、神学者といった人々にも届き、大きな影響をもたらした一因は、彼のうちには自然と超自然の両方が、高い次元においてバランスをとりつつ共存していたことにあると言えるだろう。

 

2.聖霊の御業に対するあこがれと飢え渇き

 

 ブルームハルトの生涯において、明らかに超自然的な出来事が起こり始めたのは、神学校を卒業後に、デュルメンツ教会牧師補、バーゼル伝道館教師、イプティンゲン教会牧師補を経て、メットリンゲン教会の牧師となって5年後、37歳の時のことであった。その始まりは、メットリンゲン教会の会員である、ゴットリービンという27歳の婦人が、突然、発作を起こしたり、不思議なものを見たり聞いたりし始め、彼女からの訴えに応じる中で、否応無く悪霊との戦いに巻き込まれて行った、というものであった。つまり、彼自らが率先して超自然的な領域に関わりを持とうと望んだわけではなかったのである。その意味で、聖霊の器としてブルームハルトを選び、召し出したのは、まさしく神ご自身であり、それは神ご自身の主権における一方的な御業であったと言える。

 

 しかしながら、元々ブルームハルトの側に、超自然的な領域における神の御業を経験したいという願いが全く無かったのかと言うと、決してそうではない。ここで、特に注目に値するのは、ブルームハルト自身による次のような記述である。「私は、四、五歳のころから、絶えず熱心に聖書を読んで、旧新約聖書に親しんでいたが、そのために私は、幼年時代のずいぶん早い頃から、内省的であると同時に強情な子供になっていた。しかし私は、聖書に現れる信仰者たちの姿が、現代の信仰者の姿とまったく違っているということについては、何も言わなかった。(そのことは、私が牧師として、自分独自の経験をした後になってはじめて、語るようになった。)ことに主と使徒たちは、聖霊について、実に多くのことを語っている。しかも、彼らが語るすべてのことは、我々の下では、そのままの形では見出されない。さらに、最初のキリスト者たちが、聖霊によって持っていたような賜物は、どこにも見出せない。自分が読んで高く評価した最上の信仰書においても、聖書において見出したような何かが欠けていると思われた。ことに、言葉による現実性を(たとえその言葉が、聖書の言葉に依拠する言葉であっても)、私は、現代のキリスト者においては、実にわずかしか見出せなかった。したがって、私は、すでに幼年時代に、聖書にだけ見出せて他のどこにも見出せない不思議な或るものに対して、そこにこそ神の本来の力が隠されていると思われる或るものに対して、あこがれを持っていた。(3)」この記述によれば、ブルームハルトは年少の頃から、聖書に記されている、聖霊の奇跡的な御業や、悪霊との対決といった、霊的な世界の現実性が、クリスチャンの生活の中でほとんど見られなくなっていることを当然のこととは思わず、むしろ、このことを訝り、不満に思い、霊的な出来事に対するあこがれと飢え渇きを持っていたことが分かる。

 

 勿論、人間の側からのこのような求めですらも、神が与えるのでなければ、人間は持つことは出来ないであろう。すなわち、それもまた、神からの先行的恩寵であることは当然である。しかしながら、救われるためには、神が与えられる先行的恩寵-すなわち救いを憧れ求める心-が私たちの内に生起した時に、私たち自身が、信仰と告白をもってそれに応答することが必要である。それと同様に、ブルームハルトも、年少の頃より神から与えられた、霊的な世界の現実性に対するあこがれを軽んじ、等閑に付すことなく、それに向き合い、保ち続けた。ブルームハルトがあこがれ、慕い求め続けた霊的現実が、彼に与えられ、彼を通して多くの人々に現されたことは、彼に対する召しであり、恵みであると同時に、彼の渇きと求めに対する応えであったことを見逃してはならないだろう。

 

 現代における聖霊派の教職者においても、ブルームハルトのこのような態度には、学ぶべきところは大きい。アッセンブリー教団をはじめとする昔ながらの聖霊派教団においては、近年は異言の賜物を受けるだけで満足してしまい、以前はよく見られていた、癒しや預言や異言の解き明かしなどの、他の聖霊の賜物の現れがあまり見られなくなっていると言われている。しかし、これらの重要性について、20世紀の、ウェストミンスターチャペルの説教家D・M・ロイドジョンズは、リバイバルについての説教の中でこう語っている。「必要とされることは、人間に由来するものではなく、神からの明らかに超自然的なものの出現である。御霊と御力の現れ、と使徒パウロは言っている。必要なことは、ペンテコステの日に起こったことである。使徒の働きの第2章を読んで欲しい。必要とされることはそれだ。「あなたは、激しい風が吹いてくる音を求めているのか。」という人がいるかもしれない。いや、私は必ずしもそれを求めているのではない。必ずしも異言を求めているのでもない。誰もが何かが起こっているとわかるような、聖霊の注ぎを求めているのだ。それこそが、私の求めていることである。(4)」私たちもまた、聖霊のバプテスマの印として与えられた異言の賜物に満足し、そこにとどまることなく、それ以上のものを、聖書に記されたあらゆる聖霊の賜物の十全な現れを、そして神の聖さと圧倒的な臨在が明らかになる聖霊の傾注とリバイバルを求めて、心と手を聖め、飢え渇きをもって祈り続ける、そのような初めの飢え渇きへと帰るように、求められているのではないだろうか。

 

3.悪霊の追い出し

 

 ブルームハルトはいくつかの教会で牧師補として働き、教会員に愛されながら実り多い働きをなしていたが、内面的に満たされぬものを感じ続けていたことは、否定できなかった。そんな彼の生涯にとって、決定的な転機が訪れたのは、メットリンゲン教会の牧師に着任して4年目の1842年、37歳の時であった。ゴットリービン・ディトゥスという、悪霊に悩まされている婦人がブルームハルトに助けを求め、悪霊との2年にわたる戦いの末、ついに悪霊を追い出すという出来事が起こったのである。悪霊の攻撃は、家の中に正体不明の激しい振動や騒音を起こしたり、死んだ女が死んだ子供を抱いて現れる夢を頻繁に見させたり、頻繁に失神させて瀕死の状態に追い込んだり、悪霊の言葉を語らせたり、錯乱状態や自殺の衝動に駆らせたり、といった、多岐にわたる非常に激しいものであった。それは地方一帯の噂となり、村に見物人が押し寄せるという騒ぎになるほどであった。ブルームハルトも初めは半信半疑であったが、彼女と関わるにつれ、そこに何か悪霊的なものが働いているということを確信するに至り、祈りと御言葉によって悪霊と戦った。それでも彼女の状態は悪化し、ついには、狂乱状態になって、ブルームハルトにも襲い掛かってくるほどであった。ところが、1843年12月27日から28日にかけての真夜中ごろ、予期できないことが起こった。それはブルームハルトが教団に書いた報告書によると、次のような出来事であった。「朝の二時に、娘は頭と上半身を、椅子の背にのけぞらせていたが、「サタンとなった天使」と称するものが、人間の喉から出るとは思えない声で、「イエスは勝利者だ。イエスは勝利者だ」と、吼えるように叫んだ。この言葉は、それを聞いた限りの人々に理解され、忘れることのできない印象を与えた。やがて、悪霊の威力と力は、一瞬ごとに奪われていくように見えた。悪霊は、次第に静かになり、おとなしくなり、次第にその運動が鈍くなり、ついには全く認めることができないほどに消滅してしまった。(5)」これが、2年にわたる戦いの結果であった。ゴットリービンの一家は、長い苦しみから解放されて、正常な生活に帰った。ことにゴットリービンは、その後、ブルームハルトの働きに欠かすことのできない助け手となったのである。

 

 この出来事は、ブルームハルトの生涯にとって、決定的な転機となった。彼がゴットリービンの苦しみの中に見たものは、単なる道徳や思想、世界観や価値観の問題ではなく、今も力を振るっている闇の力の現実であり、その支配下にある人間の姿であった。そのような事実に直面して、彼が覚えたのは「憤怒」であった。彼は、神の力の介入を、聖書の時代に限定することに耐えられなかった。したがって、彼にとってこの問題は、主イエスの支配か、それとも彼に逆らうものの支配か、というまさに「力の問題」であった。この問題に関連して、カール・バルトは「19世紀のプロテスタント神学」のブルームハルトに関する章で、「イエスの出現によって、単に心情の問題が提出されたのではなくて、力の問題が提出された」と述べている(6)。この出来事を通して、聖書が証しする私たちの救いの問題を、単に思想や心情の問題としてではなく、力の問題、戦いの問題として捉えたということ、これが、ブルームハルトが後世のキリスト教会に呈示した最も重要なテーマであると言えるだろう。

 

 一方で、現代の聖霊派クリスチャンにとっては、悪霊の存在や悪霊追い出しの必要性を否定するようなことはないかもしれない(もっとも、それはブルームハルトのような、この問題の現実性を証しした先達に負うところが大であろう)。むしろ、彼らが陥り易い過ちは、どんな精神的問題も、直ちに悪霊のせいであると決め付けてしまう安直さであるかもしれない。しかし逆に、悪霊が働いていながら、それを見過ごしてしまうことも、明確に神の御心に反する。従って、特に教職者の立場にある者は、客観的、科学的な態度と、霊的な働きを敏感に察知する鋭さ、この両方を兼ね備える必要がある。「霊を見抜く賜物」は、クラシカルペンテコステの教派においては語られることも、実際に見られることも稀であるが、そのような状況は神が本来意図されたものでは無いだろう。ローマにある、教皇庁立レッジーナ・アポストロールム大学では、増え続けるエクソシストの需要に応えるため、エクソシストの養成講座が開講されているが、そこでは、症例が悪霊によってもたらされたものか、あるいは精神医学的の領域にゆだねるべきものであるか、判別するための技法が教えられているという。また、ゴットリービンの事例についてなされた論争で、テュービンゲン大学付属病院神経課長のヴァルター・シュルテは、「病気と憑依状態、医学的治療と奇跡は、絶対的に相互排除的なものではない。それらは、場合によっては、同じ出来事の二つの可能な観点でありうる」と語っている(7)。また、ネオ・カリスマ派(聖霊の第三の波)の指導者の一人である、チャールズ・クラフトは、悪霊が人間に影響を及ぼす程度は一様ではなく、情緒や思考に干渉して一定の志向性を与えるレベルから、意識と肉体のコントロールを完全に奪うレベルまで、スペクトラム的に段階があると述べている(8)。これらのことを勘案すると、悪霊追い出しか精神医学か、悪霊に取り付かれているかいないか、の二分法ではなく、より複合的、重層的な視点での対処が求められていると言えるだろう。主イエスも、「この種のものは、祈りと断食によってでなければ出て行かない」と仰っているように、この問題は、ある定式にしたがって対処していけば誰にでも解決可能といった、機械的なものではなく、祈りの中で絶えず神に聞きつつ、何が起こっているかを敏感に察知し、多種多様に変化する状況に対処していく必要のある、職人技的な、一種の芸術に属する技法と言えるのかもしれない。

 

4.悔い改めとリバイバル

 

 そして、リバイバルが始まった。ブルームハルト自身はこう書いている。「村では、人々は、あまりあのことについて話しません。今は、非常な驚きと戦慄が支配しています。そして、人々が、次々に私のところに来て、懺悔をします。(9)」最初の数日の間、彼のところへ来たのは、堅信礼志願の少年達だけであったが、大晦日の夜には、村でも評判の悪いひねくれ者が繰り返しやって来て、自分の罪の事実を語り、「おれの心が平安になるように、どうかあんたの務め通りに、本式に罪の赦しを与えてください」と繰り返し嘆願した。初め、ブルームハルトは、男の誠実さを疑っていたが、ついには決断し、按手によって、罪の赦しを宣言した。「そして、跪いていた彼が起き上がった時、その全く変化した顔は、喜びと感謝に輝いて」いたのである。この出来事が転機となった。その男は、その翌日、自分と同じ状態に陥っている友達を連れて来た。そして、その友達にも同じことが起こったのである。「それは、普遍的な爆発のシグナルのようなものでした。人々の熱望は強くなって来て、私は、朝の七時から夜の十一時まで、絶えず忙殺されています。そして、これまではそういうことが夢にも考えられなかったような人たちが、何時間も思いにふけりながら、自分の番が来るまで、部屋に座って待っているというようなことが起こりました(10)」と、ブルームハルトは手紙の中で書いている。

 

 ゴットリービンに憑いていた悪霊に対する勝利と、その直後に起こったこのリバイバルとの因果関係は明らかであろう。ブルームハルト自身もそのように考えていた。1846年7月に、彼は友人のヘルマン牧師にあてて書いている。「私の「戦い」と信仰覚醒の関係は、決して外面的なものではありません。信仰覚醒は、もっとも十分な意味で、「戦い」によって獲得されたものです。戦いと勝利によって、サタンの力は破られました。それは今では、まったく働くことができないか、あるいはただ外面的に弱々しく働くことができるに過ぎません。人々の心と霊を暗く包んでいた呪縛は、取り除かれました。心と霊は、もう釘づけになってはいません。それは、近づくことのできるものとなりました。(11)」

 

 このような事例に接すると、ネオ・カリスマ派(聖霊の第三の波派)が主張する、「霊の戦い」が連想されるかもしれない。その主張によれば、サタンの配下の、力ある悪霊の頭たちが、各々割り当てられたテリトリーを支配し、人々の心を縛って福音に対して心を閉ざさせるなどの、霊的な悪影響を及ぼしているという。そういった「地域を支配する霊」を打ち破ることによって、福音の進展が飛躍的に容易になるので、そのためには、霊的な地図を作って、悪霊の拠点と思われる場所で祈りを捧げたり、可能であればそれを物理的に破壊したり、また、悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出したり、魔術師や霊媒師などのオカルトの働き人と対決することが有益であるという。

 

 ブルームハルトの事例はそのような主張を裏付けるものなのであろうか。強力な悪霊を打ち破り、追い出すことによって、その地域の霊的束縛が打破され、人々の回心が容易になり、リバイバルが起こる事があり得る、という命題に限って言えば、確かにこの出来事は、それを裏付ける実例であると言えるだろう。ブルームハルト自身も言っているようにゴットリービンからの悪霊の追い出しと、その後のリバイバルとの間に因果関係を見ることは自然なことである。しかし一方で、ブルームハルトと悪霊との対決は自然と導かれたことであり、ブルームハルトが、リバイバルのために、悪霊との対決を自ら探し求めたわけではないことも無視することはできない。聖書に見られる、悪霊追い出しの記録に関しても、同様のことが言えるだろう。このリバイバルもまた、悪霊との戦いの実ではあっても、人間の計画や意図の結果というようなものではなくて、思いがけず上から与えられたものであった。自分の人間的な努力は、「説教と悔い改めと罪の赦しによって」主の道を備えた「洗礼者ヨハネの足跡を踏む」ものにすぎないというのが、ブルームハルトの自覚であった。ブルームハルトのそのようなリバイバルの受け取り方を、チュンデルもカール・バルトも「客観性」あるいは「非敬虔主義的な客観性」と呼んでいる。この客観性ということが、彼の牧会の最大の特徴であった。よって、この事例をもって、霊的地図作りと言った、「戦略レベルの霊の戦い」に、私たちが積極的に関わるべき根拠とすることは出来ないだろう。

 

 一方で、罪の赦しときよめの根拠はどこまでも主の勝利という事実にあるのであり、私たちの感情や道徳的努力、人間的な作為にあるのではないということを、リバイバルはこの上なく明瞭に証ししている。人の悔い改めは聖霊の御業であり、一部の敬虔主義によく見られた、悔い改めを促す人間の過剰な作為によるのではない、ということを証しするにあたって、このことは大いに力があった。ブルームハルトはこのように語っている。「私は、あなたがたに言うが、「救われた者」という言葉の方が、「回心した者」という言葉よりも、ずっと良い言葉だ。・・・「回心した」という言葉には、人間自身の創作や活動が沢山含まれている。そして、「あの人は以前とはすっかり変わった」などと言う。そういうことはみな不十分なことだ。しかし、「救われている」ということがどういうことか、それを理解する人はいない。それは、誰も、自分がどれほどの拘束の中にいるか、どれほど鎖や囚われの中にいるか、どれほど悪魔的なものが自分の中で語っているか・・・を、知らないからだ。(12)」「解かれなければならないサタンのなわめが存在している。回心ではなくて開放を必要とする人間がいる。(13)」これらの言葉は、言葉の上だけでは、完全にバランスが取れているとは言い難く、語られた時代や文化的背景を加味して解釈されなければならないものの、救いにおいて、本来先立つのは神の御業であり、事実であること、また、本来教職者とは、教えるだけの存在でなく、神の臨在と力の器となり、管となるべき存在である、という聖書の真理の重要性を私たちに思い出させてくれるのである。

 

 

5.病の癒し

 

 リバイバルの始めのころから、罪の告白のためにブルームハルトを訪問するメットリンゲンの人々の間で、肉体的な病気をも癒されるということが起こった。ブルームハルトによれば、それは、次のような順序で起こった。人々が罪の告白のためにブルームハルトを訪問すると、彼は、彼の話を聞き、彼らと会話を交わす。そして、最後に、按手して罪の赦しの言葉を語る。「そのとき、(私には、他の言い方はできないが)一種の力が私から出た。その力が、不思議な仕方で、主として心の平安に対して作用し、さらに自覚されない形で、健康に対しての作用をも引き起こした。そして、私がそのような健康に対しての作用に気付くのは、何週間か経ってからのことであった。(14)」一例を挙げれば、一人の男が大腿部のひどいリューマチに苦しんでいた。それは、四週間ごとに規則的に起こって、歩行中に突然倒れることもあるほどであった。この男に対して、ブルームハルトが按手して罪の赦しを告げると、何かが身体から出てゆくように感じて、その病気は癒された。他にも、火傷、眼病、肺結核、精神病、不具など、チュンデルはそのような例を、数多く記している。

 

 このことに対するブルームハルトの見解は、次のようなものである。「私は、自分に対しても、また自分の力に対しても、何の信頼も持っていなかった。私は、他のすべての牧師たちも持っているような賜物以上のものが自分にあるなどと、妄想しなかった。しかし、私が、そのような場合にこそ祈るというある種の権利を持っている福音の奉仕者として、問題に対したということは、事実である。(15)」「福音は魂と身体の禍を取り除く神の力だという聖書の真理は、この様々な悲しみに満ちた現代において、もう一度力を持たなければならない。そのような聖書の真理は、数世紀以来、時折予感されはしたが、一度も本当に保持されたことはなかった。(16)」

 

 このような病の癒しが、今日のクリスチャンによってなされることは、期待されるべきであろうか。ネオ・カリスマ派(聖霊の第三の波)の指導者の一人である、チャールズ・クラフトは、私たちには神の権威が与えられていることを信仰によって受け止め、何も感じなくとも、病人に手を置いて癒しを宣言することを躊躇うべきでなく、仮に何も起こらなくとも、何度も繰り返しているうちに、賜物が発現して癒しが起こることを期待すべきである、と主張している。こういった主張は、「病人を癒し・・・なさい」「病人に手を置けば癒される」との主イエスの御言葉を、全時代の、全てのクリスチャンに向けて語られた、真正な聖書の御言葉だと受け止める立場に立つならば、正当な論理的帰結である。これは、聖霊の賜物による癒しであり、言わば、癒しのカリスマ派的理解と言えるだろう。

 

 一方で、著名なキリスト者カール・ヒルティ(1833-1909)は、肉体が精神に影響を及ぼすとの同じように、精神は肉体の健全さに影響を及ぼすものである、唯物的な人生観や細分化された医学のみによっては、十分な健康を保持することは不可能であり、神の恵みによって罪から離れ、神の戒めに従って生活することこそが健康の真の源である、と述べている(17)。また、ブルームハルトが、訪れてくる病人に対してしたことは、その人のためのとりなしの祈りと極めて短い牧会的な対話であった。最も重要なことは、教会の礼拝に出席させることで、個人的な対話には、二次的な重要性しか認めていなかった。按手することもあったが、それは極めて例外的な場合に限られていた。このような罪と病を結びつけ、罪から開放されることによって病からも開放されうるという立場は、ヤコブ5:14-16に土台を持ち、支持されているものである。(あるいは14節には、癒しの賜物としての理解が見られるかもしれない。)すなわち、罪を告白し、罪から離れ、神の恵みによって心と霊がきよめられ、力づけられることが、肉体にも影響を及ぼし、病から開放するという理解である。きよめ派における神癒の信仰も、このような側面から分析され、主張されることが多いのではないだろうか。

 

 また、特に聖霊が強く臨まれるリバイバルのような状態の時には、聖霊の臨在に触れられただけで癒しが起こることがある。使徒の働き19:12の、(あるいは、使徒5:15-16も)パウロの手ぬぐいに触れただけで病は癒され、悪霊は出て行ったとの記録は、そのようなケースに該当すると言えるだろう。ブルームハルトの場合も、メットリンゲンのリバイバルの初期においては癒しが頻繁に起こっていたが、段々とそのような現象は落ち着き、下火になっていったとの記録が残されている。よって、その癒しには、特殊な状況における、聖霊の特別な臨在という要素が影響していたことは明らかであろう。このような癒しは、リバイバルにおけるいやしと分類することができるだろう。

 

 したがって、神癒の原因の要素としては、大まかに言って、a.神から与えられた癒しの賜物、b.病の原因としての罪理解、c.リバイバル的状況における聖霊の特別な臨在、の三つが考えられる。今日の私たちが神癒を求めようとする場合、bは一般原理として、常に主張しても差し支えないであろうが、aは事実上、誰にでも与えられているという訳ではないため、主張するに際しては細心の注意を要するだろう。cについては、祈り求めることは許されていても、それが起こるかどうかは私たちの選択に委ねられているものでは全く無いため、神の主権にゆだねるべき例外的出来事であるという理解が必要であろう。ブルームハルトを通して行われた病の癒しについても、それぞれの場合にこの三つの要素が強くなったり弱くなったりしながら影響していることを、私たちは見ることが出来るのである。

 

 ここで付言しておくべきことは、全ての病が罪の結果として、あるいは悪霊ゆえにもたらされたものでは無いということである。道徳的あるいは霊的な原因を無視することは非聖書的であるが、人間を練り鍛え、きよめ、神に近づけるという究極的な祝福のために、神が病などの苦難を与えられ、用いられるという可能性も、ヨブ記や主イエス・キリストの御言葉をはじめ、聖書によって語られていることは明らかである。C・S・ルイスは「痛みの問題」の中で、人間が罪に堕している以上、現世において神が人間に与えられる善というものは、必然的に矯正的要素が含まれると述べている(18)。また、晩年のカール・ヒルティに、「あなたのリウマチの癒しをお祈りしましょう」と言った人に、彼は、「いや、祈らないで下さい。この痛みに耐えることが、他の何にも増して、私を神に近づけてくれるのですから」と答えたという(19)。ブルームハルトの息子もまた、牧師として神に用いられた人物であったが、神の国とは、何よりも神が人間の苦痛を取り除き助けてくださることだ、という誤解に対して父は寛容に過ぎた、と考えていた。子ブルームハルトは次のように書いている。「神の国とは、何よりも神が御自身の義を得られるということである。神の最も切迫した必要は、幸せでも、身体的健康でもなくて、神御自身の義である。その他のものは、おのずからそれに続くのである。人間の中に人間の真の本質が座を占めること。それを注視しなければならない。なぜかと言えば、人間は、精神的ないし身体的欠陥に苦しんでいても、彼が義であり、義にいます神を崇めるならば、神の前では健康だからである。そうだ、神の前では、病んでいる人間の方が、しばしば、人間の目に健康と映る人よりも健康である。なぜなら、義なる人間とは、神にあっては、すでに健康な者だからである。その結果として身体的健康が起こることは、あり得る。しかし、それがまだすぐには生じないことも、ありうる。それは、死がまだ完全には克服されていないからである。(20)」

 

 私たちは福音の領域を心理的、霊的次元に限定してしまい、医学的、身体的次元から退却してしまうようなことがあってはならない。そのようなことをすれば、今日において見られるように、悪霊的新興宗教がその領域に進出し、私たちの代わりに、霊と身体の相互作用に基づく癒しを主張し始めて人々を集めるであろう。しかしながら、身体の癒しを、またそれに限らず、私たちの現世的幸福を第一とする過ちに陥ることも、あってはならない。キリスト者が第一とするべきは、十戒の第一にあるように、神のみを神とすること、そして主の祈りのはじめにあるように、神の御名が聖とされること、でなければらならない。私たちは、第一のものを第一とし、まず主の御心をたずね求め、私たちの願いよりも主の御心が為されることを願いつつ、同時に、聖書に記されている神の全ての御業が、現代においても為されるようにと祈り求めて行くよう、召されているのではないだろうか。

 

結論

 

 以上、5つの項目にわたって、ブルームハルトを聖霊の器たらしめた諸要素を分析してきた。しかし、ここで為すべきことは、彼の生涯に起こった出来事をもって、何らかの教理の裏づけとすることでも、今日に生きる教職者の指針となすことでもない。一つ一つの出来事、あるいはそれに対する彼の考えを見るならば、疑問や批判の余地があるもの、あるいは現代の状況には必ずしもそぐわないものが多く出て来る事は当然であるし、それはブルームハルトならずとも、全ての人間に当てはまることであろう。例えば、病の癒しについての彼の考え方は、多少なりとも一面的で偏りのあるものであったとの批判は、既に子ブルームハルトにおいて為されていることは上記の通りである。本論文においては取り上げなかったものの、彼の再臨の時期についての理解も、「終末的神人協力説」ではないかという疑いを起こさせるものを含んでいるという批判も、なされている。また、彼が異言で祈ったという記録は無いため、聖霊のバプテスマに対するクラシカルペンテコステ的理解の裏づけとしては、彼の生涯はむしろ不利に働くことであろう。

 

 私たちが為すべきことは、ブルームハルトの体験や信念を絶対的なものとして、私たちの教理の裏付けや、行動の基準とすることではない。彼の生涯にも、他の全ての人間と同じように、人間的な過ちや、様々な思い違いは有ったであろう。しかし、神の国すなわち神の御支配への彼の希求と、それを来たらせる力としての聖霊の御業への飢え渇きは本物であった。「自分を導いた原則は宗教改革者のやり方で聖書から集成した原則以外のものではない。ただ、自分それを、自分以前の多くの人々に比べて、一層霊的に、断固として、純粋に保持しただけである」と、ブルームハルトは述べている。これこそが、私たちが彼から学ぶべき、最も重要な要素である。それに比べれば、聖霊のバプテスマのしるしは異言であるか否か、聖霊のバプテスマによって与えられるのは聖めか伝道の力か、といった神学的な立場の違いなど、二次的な重要性しか持たない。聖霊の賜物を受けることは大切であり、神学的に正しい立場を聖書から見定めようとすることもまた大切である、しかし、それ自体が目的ではない。私たちの目的はあくまで、神ご自身であり、その御支配の実現と拡大である。それに対する飢え渇きと慕い求めが、果たして私たちの内に見られるであろうか。それこそが、私たちがブルームハルトに見ることが出来る、教職者としての最高の特質であり、資格であると言えるのではないだろうか。

 

 

注記

 

(1)井上良雄 神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ 新教出版社 1982年 p33

(2)前掲書 p33

(3)前掲書 p34-35

(4)ロイドジョンズ・D・M リバイバル 武藤敬子訳 いのちのことば社 2004年 p271

(5)井上良雄 神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ 新教出版社 1982年 p85-86

(6)前掲書 p78

(7)前掲書 p89

(8)クラフト・H・チャールズ編著 自由になりたいと思いませんか。見えない世界の戦い 

藤井正也監訳 プレイズ出版 1997年 p104-108

(9)井上良雄 神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ 新教出版社 1982年 p100

(10)前掲書 p102

(11)前掲書 p104

(12)前掲書 p108-109

(13)前掲書 p111

(14)前掲書 p111-112

(15)前掲書 p112

(16)前掲書 p113

(17)ヒルティ・カール 眠られぬ夜のために 第一部 草間平作・大和邦太郎訳 岩波書店 1973年 p367

(18) ルイス・C・S 痛みの問題 中村妙子訳 新教出版社 1976年 p44

(19) シュトゥッキ・アルフレート ヒルティ伝 国松孝二・伊藤利男訳 白水社 1959年

(20) 井上良雄 神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ 新教出版社 1982年 p272-273

 

 

文献目録

 

井上良雄 神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ 新教出版社 1982年

 

クラフト・H・チャールズ 力あるキリスト教 福田充男・松岡美紀共訳 

新生出版社1994年

 

クラフト・H・チャールズ編著 自由になりたいと思いませんか。見えない世界の戦い 藤井正也監訳 プレイズ出版 1997年

 

島村菜津 エクソシスト急募 なぜ現代人が「悪魔祓い」を求めるのか? 

メディアファクトリー新書 2010年

 

シュトゥッキ・アルフレート ヒルティ伝 国松孝二・伊藤利男訳 白水社 1959年

 

ヒルティ・カール 眠られぬ夜のために 第一部 草間平作・大和邦太郎訳 

岩波書店 1973年

 

ルイス・C・S 痛みの問題 中村妙子訳 新教出版社 1976年

 

ロイドジョンズ・D・M リバイバル 武藤敬子訳 いのちのことば社 2004年

 

ワグナー・C・ピーター編著 地域を支配する霊 尾形守・他・訳 暁書房 

1993年

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