札幌キリスト聖餐教会のブログ

 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ーイエス・キリスト

教会チラシ ショートメッセージ 「人間は宇宙のゴミ? ー人生を考えるー」

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遺伝子の二重らせん構造

私が北大の教養部にいた時、生物の授業の時です。教授が「考え方としては一元論(物質のみが存在するという考え方)と二元論(物質と霊が存在するという考え方)がある。私としては一元論を採りたいが、採りたいというのとそうだというのとは違うわけで」と言ったことが 40 年余りたった今でも覚えています。その頃、私はまだクリスチャンではありませんでしたが、教会に行っていて、神が宇宙万物を造られたという創造論と進化論との間で悩んでいた頃でした。私より一学年上の教育大生(この人はクリスチャン)は、生物の試験の前に教授のところに行って、私はクリスチャンで進化論を信じていないんですが、と言ったところ、教授はいとも簡単に「それは好みの問題だからどっちでもいいよ。」と答えたというのです。


私たちは科学者は皆、進化論を信じていると思っていますが、そうではありません。そもそも“信じている”という言い方が進化論が一つの論に過ぎないと言うことを表しているわけです。京大の生物学の日高敏隆教授は「動物の生きる条件」(これは朝日新聞に連載されたものが本になったもの)の中で進化論に疑問を投げかけています。彼は昆虫学が専門でしたが、個々の昆虫を観察研究していくと、それぞれが生きる環境の中で最適の体の構造をもって生きているのに、果たして進化する必要があったのだろうかと素朴に疑問を感じ始めたそうです。石をひっくり返すと、じめじめした石の下にワラジムシがいるのを見つけます。じめじめして気持ち悪いだろうと思うのは人間のお節介で、彼らはそこで快適に暮らしているのです。すべての生物について同じ事が言えます。そしてそこから始めて、進化論はあり得ないのではないかという結論に達しています。別にこの人はクリスチャンではありません。純粋な科学者としての立場から発題しているのです。


もしも進化論が正しければ、物質のみが存在するわけですから人間は死んだらそれで終わりです。残っているのは動かなくなった物体です。供養などする必要はありません。進化は偶然の積み重ねですから、その存在に意味も目的もありません。進化論に立つ科学者ははっきり言います。人間の存在に意味などはなく、宇宙にとって人間はチリ、ゴミに過ぎない、と。


果たして偶然でしょうか?精子と卵子が結合した受精卵は単細胞です。それが分裂を繰り返して 37 兆 2000 億個もの数になります。そしてその過程であるものは骨に、あるものは神経に、皮膚にとまったく異なった機能や構造を持った物に変わっていくのです。分裂し、成長し、分化して人間の体ができていくのです。目がどんなに複雑な構造をもっているか、驚異の世界です。人体の中で行われている営みのひとつひとつが驚異の世界です。偶然の積み重ねでこのような複雑でしかも調和のとれた完璧な人体ができるでしょうか?日高教授のように素朴に疑問に感じることではないでしょうか?

人は皆、神という概念を理解できます。人は皆、祈ることを知っています。人は皆、宗教性をもっています。そして自分の不完全さを自覚しています。誰と比較しているのでしょう。

人がもし進化の結果の存在であるのなら、パンだけで満足できるはずです。しかし人はパンだけで生きるむなしさを知っています。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによるのです。

パンは肉体の糧です。そして神のことばである聖書は霊の糧です。人間にはこの二つの糧が必要なのです。励ましと慰めを与え、生きる希望に導く神のことば、霊の糧をあなたも是非ご自分のものとしてください。

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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか ポール・ゴーギャン

 

*** 札 幌 キ リ ス ト 聖 餐 教 会 ***
日曜日:主日礼拝:午前 10 時から 第 2・第 4 土曜日:アサフ(讃美歌合唱の集い)
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キッズゴスペル:午後 1 時 30 分から
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