札幌キリスト聖餐教会のブログ

 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ーイエス・キリスト

教会チラシ ショートメッセージ 「親ガチャ ー人生、運次第!?」

 


最近、『親ガチャ』という言葉が子供や若者たちの間で使われ始め、テレビなどでも紹介され、話題になっています。親ガチャとは、「人生の幸不幸は親次第で大方決まってしまうにもかかわらず、どのような親の下に生まれて来るかは、ガチャ(何が出てくるかは分からない、カプセル入りおもちゃの自動販売機)と同じで、運まかせで、自分では選べない」ことの不条理を嘆く言葉だそうです。

 

確かに、私たちの人生は、生まれた家庭環境や親の人格によって大きな影響を受けます。そして、それに完全に満足している、という人はほとんどいないのかもしれません。しかし、実は、聖書は、「すべての人が、本当の親を見失い、否定し、その愛と庇護の下からさまよい出ており、その結果、不幸を招いている」と語っているのです。

 

「私たち人間には、そしてこの宇宙には、それを創造し、維持し、統治している創造主がいらっしゃる。この方は私たちに深い関心を持ち、私たちを愛し、私たちの幸せを願っている。この方を無視し、否定して生きようとする自己中心の性質こそ『罪』であり、一切の悪の、真の原因である。」 

聖書はそう語っているのです。

 

もし、創造主が存在せず、人間も、宇宙も、偶然の産物であれば、人間の存在に意味はありません。善も悪もその基準は人それぞれであり、生きる意味や人生の目的は、人それぞれ自分自身が見出し、また自分自身の力でそれを成し遂げるしかありません。そして束の間の幸福感、充足感を見出し、やがては病にかかり、老い、死んでいく。地球も太陽も宇宙も、やがては老い、死滅し、永遠の静けさだけが訪れる。突き詰めれば、結局、それだけの事となります。

 

しかし、聖書によれば、そうではありません。

「神は目的をもって、宇宙を、地球を、私たち一人一人をデザインされ、創造された。歴史は神の御計画に従って導かれており、新しい世界、神の統治する神の国が実現する時が来る。『絶対的な善も悪もなく全ては人それぞれであり、人は意味も目的もなく生きて、死んで、無になる』のではない。すべての人が神の前に立ち、どのように生きたか、神の正しい基準に従って裁かれ、永遠の世界において正しい報いを受けることになる。天国と地獄は本当に存在する。」

そのように聖書は、はっきりと語っています。

 

創造主である神は、愛のお方であると共に、きよく、義なるお方です。本来、罪ある者は誰一人として、このお方の子供とされるどころか、その前に立つ事すら出来ません。自分の正しさや善良さや功績によって、神の子供と認められる人は、誰一人としていません。しかし、だからこそ、罪のない、神のひとり子イエス・キリストが、人となって生まれて下さり、十字架で殺され、三日目によみがえって下さったのです。それは、イエス・キリストを信じる者が、すべての罪をゆるされ、神の子供として受け入れられ、天国での永遠のいのちを与えられるためなのです。

 

これが『福音』と呼ばれる、聖書の最も大切なメッセージです。ここに、天のまことの父からの愛の御手が、すべての人に対して差し伸べられています。試験にパスする必要も、修行をして功徳を積む必要も、『親ガチャ』に成功する必要もありません。どんなに弱くてもいいのです。どんなに傷ついていてもいいのです。どんなに罪深くてもいいのです。天の父は、罪を悔い、方向転換をして立ち帰る者を、イエス・キリストの十字架の死ゆえに、すべての罪を赦し、子供として受け入れ、永遠のいのちを与えて下さいます。そして、天の父は、御自分の子供とされた者を見捨てる事は決してなさいません。

 

ここに救いがあります。教会では聖書が読まれ、あなたへのメッセージが語られます。あなたが教会にいらっしゃり、聖書からのメッセージを受け取られ、この救いをご自分のものとして下さるよう、願ってやみません。教会はあなたのお越しをお待ちしています。

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